日本人があやふやに使っているフランス料理の言葉

日本人があやふやに使っているフランス料理にまつわる言葉が少なからずあります。

ここではそれらについて本来どういう意味なのかを説明します。

ディナー

英語の「dinner ディナー」、フランス語では「dîner ディネ」という言葉があります。意味は「一日の主たる食事」で正しいですが、それは夕食とは限りません。一日の主たる食事を夕食でとるのは、昼間はあくせくと働かなければならない我々労働者の習慣です。昔の金持ちは労働を忌避し、一日の主たる食事、すなわち「dîner ディネ」を昼にとっていました。

昼にディネをとれば、夕食は軽いもので済ませることになり、この夕食はディネではなくフランス語で「souper スぺ」と呼びます。字義的には「スープを食する」の意味で、要するに宴会帰りのお父さんが帰ってきてからお茶漬けのようなものをサラサラ食べたいのと同じ感覚なのでしょう。
英語のsupperは、このフランス語のsouper が訛ったものです。
一方、ディネを夕食で取った場合ですが、その場合の昼食は英語は「lunch ランチ」、フランス語では「déjeuner デジュネ」です。

おそらくそれほど厳密に使い分けられている訳ではないので、「本来は」という事で押さえておいてください。

「晩餐会」と「午餐会」

上流階級らしき人たちが豪華そうな会食をしているのを「晩餐会」とついつい称していると思いますが、「晩」という以上それは夕食の場合だけの言い方となります。昼食のディナーは「午餐会」と言います。
ちなみに「午」とは「午(うま)の刻」すなわちお昼の12時の事です。

ビーフステーキ

時々「フランス料理のコースでメインはステーキだった」という話を聞きますが、それは本当でしょうか?メニューには「ステーキ」ではなく例えば「牛フィレ肉のグリエ」等と書かれていたのではないでしょうか。
厚切り牛肉を焼いた料理を全て「ステーキ」と呼んでしまうのは日本人の悪い癖です。

ステーキ、あるいは「ビーフステーキ」はあくまでもイギリス料理です。
勿論、イギリス料理をフランス料理のコースの中に組み込んではいけないなんてことはなく、コースの組み立てはシェフの自由です。しかしシェフが牛フィレ肉のグリエとして作った料理は、やはりビーフステーキではありません。

同じ厚切り牛肉を焼いた料理で、両者の料理の違いは何でしょう。
境界線は明確ではないのでしょうけど、基本的にはスタイルが違います。「パンケーキ」と「ホットケーキ」の違いに似ているかもしれません。

ビーフステーキは一般にソースも付け合わせも盛り付けもシンプルです。一言で言えば「イギリス料理らしさ」がありますが、フランス料理はそれら全てが「フランス料理らしく」凝っています。

ビフテキ

日本のオジサンたちは「ビーフステーキ」を訛って「ビフテキ」と呼ぶ、なんて笑いの種にされたりしますが、何を失敬な、訛ってなどいません。
ビフテキ」とはフランス語の「bifteck」の事です。オジサンたちはアメリカナイズされる以前の言葉を継承しているだけです。
まあ敢えて言うなら、英語のbeefsteakが訛ってbifteckになっているのですが、訛らせたのはフランスのオジサンたちであって日本のオジサンではありません。

ちなみにイギリス料理のbeefsteakがフランスに入ってbifteckになったのはナポレオン戦争の後の頃で、美食家としても知られるフランス文豪のアレクサンドル・デュマ(父)がその事を書き記しています。

このビフテキはさらにイタリアに上陸して、イタリア語では「ビステッカ bistecca」と訛はさらにきつくなりました。
もっとも、日本のイタリア料理店のビステッカ の方は何故だかお洒落な言葉の位置づけのようで、オジサンは納得いきません。

肉料理=アントレ?

日本のオジサンたちの中に、コース料理の中の肉料理を「アントレ」と呼ぶ人がいます。「アントレ entrée」とは前菜の事ですから、オジサンはなにやら勘違いしていると思われたりしますが、それは違います。
バブル以前の頃まで日本のフランス料理店では、確かに肉料理の事を「アントレ」と称していました。この勘違いをしたのは日本のオジサンではなく、アメリカのオジサンたちです。

現状アメリカでどれだけ改められたかは定かではありませんが、アメリカのフランス料理店では肉料理の事を「アントレ」と称します。

何故そうなったかは半ば想像ですが、アメリカ人が大好きなビーフステーキはフランス料理のコース上はアントレだからではないでしょうか。フランス料理のフルコースのメインディッシュはロティ(ロースト)と決まっており、ビーフステーキでさえ前菜(アントレ)となるのです。しかしそういうフランス料理の事情までは知らないアメリカ人が大好きなビーフステーキが出てくるアントレとは肉料理の総称なのだと理解した、という事ではないでしょうか。

スープ

日本で「スープ」と言えば汁物の総称、日本のみそ汁、吸い物もすべてスープの一種とされています。
フランス料理ではいささか異なり、汁物の総称は「potages ポタージュ」と呼びます。フランス料理店に行ったときにメニューを見ていただければわかると思います。

フランス語の「soupe スープ」は日本語のスープとは微妙に異なり、肉などの具材を煮込んだ料理の事で、むしろポタージュの一種としてスープがあります。

もっともフランス料理店で、相手が日本人であれば殊更フランス語の意味を気にしなくても良いとは思います。

コンソメ

コンソメも意味に混乱がある言葉と言えます。
よく言われるのは、「コンソメとは完成したという意味なので、ブイヨンを料理として完成させたのがコンソメだ」という事ですが、フランス語の「コンソメ consommé」は動詞consommerの過去分詞であり、の本来の意味は「消費された」、「やり尽くされた」という意味で、それを完成した料理と取るのはいささか早合点のような気がします。少なくてもフランス料理のコンソメとしては到底正しい説明とは思えません。

フランス料理のコンソメは特別な手順で作るブイヨンの事です。
「特別な手順」とは以下の2点を挙げる事が出来ます。

  1. 沸騰させずにゆっくり、灰汁を丹念に除きながら出汁を煮だす。
  2. 上記の出汁にミンチ肉と卵白を加え、灰汁を吸着させて澄ます。

手順(1)のみのものを「コンソメ・サンプル Consommé simple」と呼び、手順(1)(2)を行ったものを「コンソメ・ドゥーブル Consommé double」、或いは英語で「ダブル・コンソメ」と言います。
コンソメ・ドゥーブルを塩・胡椒等で整え、何某かの浮身を加えれば料理としてのコンソメが完成します。

つまり、料理と仕上げる前からコンソメは「コンソメ」となっています。

ムニエル

みなさんが「ムニエル」と呼んでいる料理はムニエルではありません、というと驚くでしょうか。
ムニエル(à la Meunière)はかつては日本人にとって、「フランス料理と言えば」と聞かれて最初に出てくるフランス料理の代表格でした。
伊丹十三の映画「タンポポ」でもホテルのレストランでフランス料理を食べ慣なれない人たちが、全員で「舌平目のムニエル」を注文してしまう、なんてシーンもありました。
料理人エスコフィエもムニエルを「優れた調理方法 excellent mode de préparation」と評価しています。

ただ、昨今の「ムニエル」と称して出される料理は、微妙にかつてのムニエルと違う料理になっていると思わずにいられません。
原因はおそらく、「ムニエル Meunière」は「粉屋」の意味、と言う知識がネット等で広まったために「粉」以外の要件が忘れられてしまったためでしょう。

フランス料理にはエスコフィエ著「Le Guide Culinaire」というバイブルがあります。
ここから「正しいムニエル」を学んでみましょう。
ちなみに同書ではムニエルの解説において、以下のようなタイトルを付しています。

「Cuisson des poissons au beurre, dite «à la Meunière»」
「バターによる魚の加熱 すなわち『ア・ラ・ムニエール』」

ムニエルの作り方は下記のとおりです。

(A)小麦粉をまぶして、フライパンで熱したバターでポワレする(à la poêle)。
使うバターは、大きな魚の場合は澄ましバター(beurre clarifié)を使い、それ以外では普通のバターを使うとしています。大きな魚を普通のバターでポワレしてはバターが焦げてしまう、という事でしょう。

(B)レモン汁を数滴垂らし、塩、こしょうで調味し、表面にパセリを振りかける。

(C)焦がしバター(beurre cuit à la noisette)をかける。

冒頭で述べた「昨今のムニエル」は(A)までで完成としている事が多いようです。
しかし、エスコフィエはこう言っています。
こうしてできるものは「黄金焼き doré」であり、(B)(C)まで行うのが「ムニエル」である。

冒頭で述べった「昨今のムニエル」は昔のムニエルと較べて、なかなか(A)(B)(C)の3要件が揃わないのです。
どうかこれからは正しいムニエルを作るように心がけましょう。

(つづく)

フランス料理のロシア式サービス

はじめに

高級なフランス料理店で食事をすると、コースを構成する料理が一皿ずつ運ばれてくる事にそこはかとない非日常感を感じてしまうものとと思います。
フランス料理の象徴と言っても過言ではない、贅沢さとエレガントさを醸し出してさえいます。
ところがしかしです。
実はこの一皿ずつ給仕する方式の事を「ロシア式サービス Service à la russe」と言います。
つまり元々はフランスではなくロシアの流儀で、これが導入される以前はちゃんと「フランス式サービス Service à la française」という別の給仕方式が行われていました。。
フランス料理の給仕方式がロシア式になったのはそれほど大昔の事ではなく19世紀末から20世紀初頭にかけての事で、しかもここに至る前段階にロシア式サービスの是非をめぐる料理界の百年の論争がありました。
フランス式サービスとはどのようなものか、誰がそのような議論をしてロシア式サービスに変更されたのか、説明していきたいと思います。

念のためのお断り

説明の前に念のため、言葉の定義について断っておきます。
これから説明しようとして「フランス式サービス」、「ロシア式サービス」とは、百年論争のテーマとなった給仕方式の事です。西洋の作法の多くは「フランス式」、「イギリス式」、「ロシア式」という言葉で分類されている事が多く、人によっては別の領域の話と混同してしまう事が多いのです。しかも関係方面のプロの方ほど、なまじ知識があるだけに「フランス式」、「イギリス式」という単語に反応してしまって、それが別領域の事とは気が付いていない事が多いのです。
それと、ネットで「フランス式サービス」という言葉で検索すると、ここでの説明とは違う解説がされているかもしれません。それはおそらく、「フランス式サービス」を一般的な語彙と捉えていて、つまりフランスではこういう給仕がされています、という解説がされていたりします。それはそれで誤りではありませんが、やはり違った領域の説明です。
ここで説明するのは、百年論争の話、料理が一皿ずつ運ばれてくる方式の話です。

フランス式サービス

それでは、ロシア式サービスが導入される前の「フランス式サービス Service à la française」とはどのような給仕だったか、ここから説明しましょう。
現代のロシア式サービスでは厨房で完成した料理が一皿に一人分に盛りつけられ、一料理ずつ決まった順番で客席に運ばれてきます。説明するまでもないでしょう。
それがかつてのフランス式サービスでは、コース料理全体が3つの「セルヴィス Service」に分けられていて、各セルヴィスの料理が一度に出されます。
料理は厨房から客に直行で出されるのではなく、また1人分ずつ盛りつけられているのでもなく、料理ごとに大皿に盛りつけら、客の前の大きなテーブルに「プレゼンテprésenté」(=展示)されます。
料理を展示するレイアウトは皿の配置が必ず左右対称になるようにします、したがって各セルヴィスの料理の品数は必ず偶数となるようにします。そうでなければ対象にレイアウトできません。
客が展示された料理をひとしきり愛でると、宴会のホスト、すなわち「アンフィトリヨン」の腕の見せ所となります。
アンフィトリヨンは大皿に盛りつけられた料理を一人一人に取り分ける「デクパージュ découpage」を行います。
美味しい料理を沢山食べたい客はアンフィトリヨンの隣に座りたがります。
一つのセルヴィスが終わると、次のセルヴィスが始まるまでの間、「アントルメ entremet」、すなわち甘味を食べながら時を過ごします。
そして次のセルヴィスが出そろうと、客はそれを愛でて、アンフィトリヨンがデクパージュに腕を振るい、

さて、ロシア式サービスとフランス式サービスの違い、それも本質的な違いは理解できたでしょうか。
象徴的な工程はプレゼンテとデクパージュです。
大皿に目いっぱい豪華に盛りつけられた料理をアンフィトリヨンと客の全員で愛でて、さらにアンフィトリヨンがデクパージュする事で全員の交流がおこります。
フランス式サービスは感動や交流を最重要とする、そういう流儀だと言えるのではないでしょうか。
日本でも同じような事をする事があります。
子供の誕生日会で、ケーキをホールのままテーブルに出して、蝋燭の炎を引き消すなどの儀式を経てから、切り分けて一人一人にだしたりするでしょう、
儀式をしたからと言ってケーキが美味しくなるわけないのですから料理的な合理性はありません。しかし、最初から切り分けられたケーキを出しては楽しみにしていた子供がさぞかしがっかりするでしょう。
ロシア式サービスを知ったフランス料理界が、少なくても初期段階では、それに対して冷淡なリアクションだったのも同じような理由だったのでしょう。

ロシア式サービスの紹介と百年論争

フランス人がロシア式サービスを知ったのはナポレオン皇帝の時期です。
ロシアからきたフランス駐在公使のアレクサンドル・ボリソヴィッチ・クラーキン公爵がロシアの給仕方式をフランスの社交界に紹介したのが事の始まりでした。
ロシアではダイニングルームに料理を展示する事なんてしない、そんな事をしては料理が冷めてしまう、なので料理を厨房で一つずつ作り、食事客は出された順に食べていく、というのです。
それにしても、革命の血なまぐささが残るパリで、これからフランスが戦争をしようという相手国の大使が、やけに暢気な話をしているものだと思えてしまいます。が、逆にそういう時こそ暢気な話をするのが外交官の仕事なのかもしれません、それはさておき・・
フランス料理会の最初の反応は、概ね「寒いロシアではそれで仕方ないかもしれないけど、料理の展示を無くする事はディナーの華やかさを失ってしまうので良い方法とは言えない」と、冷ややかな反応だったようです。
特に当時のフランス料理界のスターシェフであったアントナン・カレームはフランス式サービスの優位性を強調し、この大御所の権威により、暫くの間ロシア式サービスは封印される事になります。
しかし、ロシア式サービスは忘れられることは無かったようです。この時から「フランス式サービス」、「ロシア式サービス」という対立図式として料理界の百年論争となります。

料理人デュボアの主張

ユルバン・デュボアはカレームの弟子世代の料理人です。カレームの死後、デュボアは給仕方式の議論を蒸し返します。
デュボワの基本的な主張は、両給仕方式の長所・短所の一般的な認識は誤りであるというものでした。
やり方次第でフランス式サービスは温かいうちに食べる事ができるし、ロシア式サービスでも華やかな演出ができるのだ、とデュボアは主張します。
また、料理人が一方の方式に肩入れるすべきではなく、顧客の求めに応じて料理を作ればよい。ただし、何れの方式であっても、温かい料理は温かく食べる事が重要なのだと言います。
デュボアの論理性がうかがえる主張ですが、実質的にはロシア式サービスの復権に寄与することになります。

料理人エスコフィエ

G.オーギュスト・エスコフィエはデュボアの弟子にあたる料理人で、「料理界の皇帝」とまで呼ばれるほどの世界的なカリスマ性を持っていました。
百年論争はエスコフィエによって終止符を打たれます。
エスコフィエは基本的には師デュボワの主張を支持する立場ですが、デュボワの論理とはいささか違います。
エスコフィエの口癖は、「Faites Sample! シンプルに考えよ!」だったそうです。
なんの事かと言うと、要するに料理は美味しい事が最優先であり、それ以外の事は二の次だ、という事です。
そのために優れているのはロシア式サービスであり、デュボアが提唱したロシア式サービスを華やかに飾る装飾も不要だと訴えました。
エスコフィエは今日に至っても尚、フランス料理の集大成者と目される人物で、エスコフィエが下した結論は、料理人にとっては最終判決みたいなものだったのでしょう。
これにより、ついにロシア式サービスが現在どこのレストランでもやっている「普通」の給仕方式として確定されました。19世紀と20世紀の、世紀の変わり目付近の事でした。

給仕方式の分類の混乱

さて、冒頭で説明した「ロシア式サービス」とか「ロシア式サービス」の混乱についても説明しておきましょう
実のところ混乱しているのはホテル関係者だけなのですが、混乱の原因は給仕方式に纏わる別々の領域の分類を混同してしまっているためです。
この領域の一つ目は、コースを構成する料理をどのような順序で出すかという方法論で、歴史的な百年論争の末に今日のロシア式サービスに着地しています。
領域の二つ目は、一つ目が決着したあとに起こった個々の料理を客にどのように給仕するかの方法論です。おそらくホテル関係者しか知らない話なのですが、悪いことにホテル関係者は一つ目の話とは別の話だという事に気が付いていないようです。

もう一つの給仕方式の分類

最初に述べた、百年論争とは別の給仕方式の分類の話をします。
百年論争は決着しました。料理はメニューに記載された順序で一料理ずつ給仕しますが、実際に個々の料理をどのように客に給仕するか、国ごとに微妙に差異がありました。
この点での給仕方式を整理したのは、料理人ではなくホテルスクールの先生であるルイ・レオスポという人物です。
レオスポ氏は各国の流儀を調べたようで、給仕方式を「フランス式」、「イギリス式」、「ロシア式」と大別して整理しました。
レオスポ氏は料理に限らずホテルマンの様々技術を「ホテル産業論 Traité de l'industrie hôtelière」という本にまとめ出版しましだが、これは日本を含む外国語にも翻訳され、ホテルマンのバイブルになったようです。

「ホテル産業論」に書かれている給仕方式は以下のようなものです。

  • フランス式サービス Service à la française.
     -客が1、2名の場合:料理を直接食事客に出す。
     -客が多数の場合:大皿から食事客が料理を自分でとる。
  • イギリス式サービス Service à l'anglaise.
    -客が2、3名の場合:テーブル上の空きスペースを使って料理を積み重ねた皿に盛り付け、食事客に配る。
    -客が多数の場合:ギャルソンがテーブルの周りを移動しながら、各人のさらにフォークとナイフで盛り付ける。
  • ロシア式サービス Service à la russe.
    大皿の料理を客に提示した後に、給仕卓の上で皿に盛り付け、各人に配っていく。

方式のネーミングが百年論争の分類と被りますが、上記の分類は、あくまで百年論争とは違う領域の話ですので、ご注意ください。

鹿鳴館晩餐会の料理解説

鹿鳴館と晩餐会のメニュー

明治維新を経て開国した日本では、見よう見まねで西洋式の外交が強いられました。そういった国策の一環で作られた社交場が「鹿鳴館」という建物です。後に「華族会館」と改められTVドラマ「天皇の料理番」でも登場した建物です。

この建物の中で半ば国策で外国人に振る舞われた振る舞われたのはどのような料理だったでしょうか。外務省に残っているメニューからひも解いてみましょう。

1884年(明治17年)の天長節、要するに明治天皇の誕生日を祝う晩餐会のメニューです。
ちなみに鹿鳴館の晩餐会は外務省主催のもので、皇室主催で皇居の豊明殿で行うものとは別のものです。

鹿鳴館晩餐会メニュー

料理の説明

目を凝らしても文字が読み取れないと思えるかもしれませんが、こういう画像は必至に目を凝らすより、やや遠目のつもりでパッと見ると読めたりするものです。

メニューはフランス語と日本語で以下のように書かれています。対訳形式で併記します。

獻立
紀元二千五百四十四年
第十一月三日
Menu du Diner
du 3 NOVEMBRE 1884.
一 生蠣 檸檬 Huître au citron
一 羹汁 犢×製 Potage à la Windsor
一 魚肉 鯛蒸衣馬鈴薯 Tei au gratin sauce Colbert
一 獣肉 牛脊肉蒸焼洋菌製 Filet de bœuf à la Périgord
一 鳥肉 鶉蒸焼洋菜製 Cailles à la perle de céleris
一 仝 雉子蒸焼冷製 Aspic de filets de faisan
一 ポンシュ 洋酒氷製 Punch glacé
一 鳥肉 七面鳥蒸焼 サラダ Dindonneux rôtie - Salade
一 裁菜 青豆英吉利製 Pois gourmands à l'Anglaise
一 製菓 梅入菓製 Plum-pudding
一 氷製菓 加非入製 Crème glacée au café
Dessert
伯爵 大木参議 獻

全11皿の構成となっていますが、それぞれどのような料理か想像がつくでしょうか。

最初の料理はオードブルで、生牡蠣にレモン汁を絞ったシンプルなものです。オードブルとは先付けの事で、料理本体の準備ができるまで食前酒とともに食べる料理の事です。
それにしてそれが生牡蠣だけとはシンプル過ぎないかと思えますが、余り凝ったオードブルは作れなかったであろう事情はあるにせよ、生牡蠣はオードブルとして悪くはありません。

  • 羹汁 犢×製  Potage à la Windsor

続く料理はスープ(Potage)です。「羹汁 犢×製」の×は文字が読めなかったんのですが、「ウィンザースープ Potage à la Windsor」ですから犢(こうし)の脛や尻尾を示す漢字が「×」であるに違いありません。
ちなみに「羹汁」とはスープの事です。

  • 魚肉 鯛蒸衣馬鈴薯附 Tei au gratin sauce Colbert

次は魚介料理(Poisson)です。フランス語料理名を訳せば「鯛のグラタン ソース・コルベール」と言ったところ。ソース・コルベールとはルイ14世の宰相コルベールにちなんだソースで、バターにパセリ、レモン、胡椒等を練り合わせたものです。この料理に馬鈴薯、すなわちジャガイモを添えた料理のようです。

  • 獣肉 牛脊肉蒸焼洋菌製 Filet de bœuf à la Périgord

次はいよいよ肉料理です。「牛脊肉」は牛フィレ肉(Filet de bœuf)のことで「蒸焼」とはロティ rôtie(ロースト)の事でしょう。「洋菌」とはトリュフの事で、フランス料理ではトリュフで調味した料理を、しばしばその産地にちなんで「ペリゴール風 à la Périgord」と名付けます。おそらくはブラウン系のソースに刻んだトリュフを加えたソース・ペリグーなどが添えられていたのではないでしょうか。

  • 鳥肉 鶉蒸焼洋菜製 Cailles à la perle de céleris

次は鳥類です。この料理はフランス語名から鶉(うずら)のロティにセロリを添えた料理である事は分かりますが、残念ながら余り詳細には説明できません。

  • 仝 雉子蒸焼冷製 Aspic de filets de faisan

次の料理は冷製の鳥肉料理です。やはりフランス語名の方が料理の内容をよりよく表しているのですが、「雉フィレ肉のアスピック」です。アスピックとは鳥類が持つゼラチン質を生かした、日本で言うところの「煮凝り」の事です。
ちなみに日本語名にある「仝」は「同」のことで「鳥肉」を指しています。

さて、肉料理が3品続きましたが、これはメインディッシュではなく全て前菜、すなわち「アントレ Entrée」です。現在のフランス料理とは料理の順番がいささか違う事に気づいたでしょうか。現代では魚料理、肉料理があれば「フルコース」と呼んだりしますが、フランス料理が魚と肉で「フル」なはずなどありません。この晩餐会の料理でさえフルコースとはいいがたいのですが、それでも上記ようにフランス料理の中の各ジャンルを網羅するようにコースメニューを組み立てていたのです。

そしていよいよメインディッシュです。
が、その前の口直しを兼ねて、冷たい氷菓で食欲回復を図ります。それが「ポンシュ 洋酒氷製 Punch glacé」です。いまでは「グラニテ granité」と呼んでいます。
そしてメインディッシュ本体が「鳥肉 七面鳥蒸焼 Dindonneux rôtie」です。
Dindonneux とは若い七面鳥の事ですので、「若七面鳥のロティ」という事です。この時代のフランス料理のメインディッシュは必ずロティなのです。ただしアントレのロティとは違い、おそらくは丸のままローストして、恭しく会場に運ばれ、列席者に取り分けられたのでしょう。
それにしてもアメリカ原産の七面鳥の野性味には日本人は驚いたのではないでしょうか。

  • 裁菜 青豆英吉利製 Pois gourmands à l'Anglaise

さて、次はデザートかと思いきや「裁菜 青豆英吉利製 Pois gourmands à l'Anglaise」です。Pois gourmandsとは「さやえんどう」の事で、「英吉利(イギリス) à l'Anglaise」とは塩茹でにすること、要するにつまみの定番「枝豆」です。
当時のフランス料理は食後酒の習慣があり、そのつまみという事です。

  • Dessert

そしてデザートは2品。
「製菓 梅入菓製 Plum-pudding」すなわちプラムプディングと「氷製菓 加非入製 Crème glacée au café」コーヒー味のアイスクリームです。

全体感

全体通して如何だったでしょう。
今日のフランス料理とは構成や品数が違っていることは説明しましたが、主食材が偏っていることに気が付いたでしょうか。

獣肉を使ったのは最初のスープと牛フィレ肉のロティの2品で、魚介2品、鳥類は3品です。
これはおそらく当時の日本の食材事情を反映しての事でしょう。
メインの七面鳥は輸入品で、牛肉は国産だったと思いますが今の和牛のように質はよくなかったでしょう。鶉と雉は国内の野鳥、鯛も枝豆も勿論国産でしょう。

当時の料理人が制約の多い環境で創意工夫を凝らして本国のフランス料理に近づけようと努力している様子が思い浮かんできます。

新大陸からやってきた食材

ココアとチョコレート

ココアとチョコレートの元となる植物カカオもアメリカ原産です。

アメリカ原住民はすり潰したカカオ豆を煮て飲料として飲んでいた様ですが、これがスペインに持ち込まれ珍重されるようになります。

スペインから徐々にヨーロッパに伝わるのですが、一躍大流行という訳には行きませんでした。時期を同じくして同じ舶来飲料であるコーヒーと茶も流行します。

洗練された強力なライバルに対して、カカオは今だ不完全でした。酸味が強く、油が多く有体に言えば美味しくは無かっただろうと思います。

しかし1828年、オランダ人のバンホーテンがカカオを加工する画期的な発明をします。この発明によりカカオが今日あるようなココアやチョコレートに変わります。

バンホーテンの発明は主に2つで、アルカリにより酸味を中和する「ダッチプロセス」という処理、それとカカオをカカオマスココアバターに分離する機械です。

カカオマスからココアが作られ、カカオマスココアバターと調合する事でチョコレートが作られます。ダッチプロセスにより酸味も調和され美味しくなりました。

「大地のリンゴ」と「黄金のリンゴ」

新大陸からもたらされた食材に、「pomme de terre」、すなわち「大地のリンゴ」と呼ばれるものと、「pomme d'or」、すなわち「黄金のリンゴ」と呼ばれるものがあります。

何のことかご存じでしょうか?

「pomme de terre 大地のリンゴ」とはジャガイモの事、「pomme d'or 黄金のリンゴ」とはトマトの事です。

つまり、今日、西洋料理に欠かせないこの2つの食材はコロンブス以前は西洋社会には存在していない、知られてもいなかったという事です。

しかも両者ともに、西洋社会に持ち込まれて暫くの間は誰も食べたがらずもっぱら観賞用だったというから驚きです。もっともジャガイモは芽に毒があり、トマトは真っ赤な見た目で、初心者が敬遠してしまう気持ちも分からなくもありません。

ジャガイモとトマトはどのように西洋料理に取り込まれていったか説明します。

ジャガイモ

新大陸からヨーロッパに持ち込まれたジャガイモは、食用としては長い「不遇」の時代の末、18世紀にスウェーデンプロシアで食用としての価値が認められ国策で食用として栽培が推奨されるようになります。

このプロシアに、七年戦争で捕虜になったフランス人パルマンティエという人物が連行されてきました。捕虜に与えられた食事はジャガイモだったようで、まだまだジャガイモはそういう地位の食べ物だった事を示しています。しかしパルマンティエは、初めて食べたジャガイモに注目し、解放されフランスに帰ってから国王ルイ16世にジャガイモの食用化を進言します。これがフランス料理にジャガイモが取り入れられるスタートとなります。

その後パルマンティエはジャガイモの栽培と食用化の研究をライフワークとし、その功績から今でもいくつかのジャガイモ料理に彼の名が付けられています。

  • アシ・パルマンティエ Hachis Parmentier

パルマンティエといえば、これを思い浮かべる人も多いかもしれません。肉の細切れとジャガイモで作ったグラタンの事です。「アシ Hachis」は「細切れ」です。

  • ウー・パルマンティエ Œufs Parmentier

「ウー Œufs」は卵の事、「ウフ Œuf」の複数形です。

ジャガイモで作った器に卵を入れて、クリームをかけて焼いた料理です。

  • ポム・アンナ

19世紀の伝説的料理人であるデュグレレが考案した有名な料理です。

輪切りにしたじゃがいも並べてバターで煮て作ります。

名前の由来はデュグレレのお気に入りの娼婦の名です。いまそんな事をしたらコンプライアンス違反で叩かれそうです。

  • ヴィシソワーズ

冷製のジャガイモのポタージュです。

夏の暑い時期、食欲ゼロでもこれなら美味しく食べられます。

ちなみにヴィシソワーズとは「ヴィシー風」という意味です。考案した料理人の出身地に因んでいます。

トマト

トマトもスペイン人によって新大陸からもたらされた食材ですが、食用として普及したのは18~19世紀くらいだったようです。

ヨーロッパでトマトがブレイクしたのは、フランスではなくナポリ王国でした。トマトはフランス語で「pomme d'or 黄金のリンゴ」と紹介しましたが、フランスでの呼称は「tomate」の方が主流となり「pomme d'or」は今では余り使われないようです。その代わり「黄金のリンゴ」はイタリアで定着し、今でもイタリア人はトマトを「pomodoro ポモドーロ」と呼んでいます。

長い間嫌われものだったトマトはイタリア、特にナポリで出世を果たし、今ではイタリア料理の顔となっています。

七面鳥は何故「ターキー(トルコ)」?

七面鳥は新大陸(アメリカ)からヨーロッパに持ち込まれた鳥で、今ではすっかり食材と定着しています。
ブリア・サヴァランは七面鳥は新大陸がもたらした食材の中で、高雅とは言わないが最も美味な食材と称しています。変な表現がかえって七面鳥の美味しさの特徴をよく表しています。
七面鳥は英語で「turkey」と言いますが、要するに「トルコ鶏」と呼ばれています。

はてさて何故そのような名前が就いたのでしょう。

ネットの記事では、七面鳥が英語でトルコ鶏と呼ばれるのはホロホロ鳥と混同したためという説明が多いようですが、おそらくこれは別の混同話と混同した誤りでしょう。

なぜならホロホロ鳥はアフリカ原産、古代ローマ時代から食されている鳥で、ローマ人は「ヌミィディア鳥 Pullum Numidicum」と呼んでいました。トルコという国さえない時代のことです。

「トルコ鶏」の由来について確かなことは分かりませんがイギリス人が最初に七面鳥を知ったのはトルコ商人を通してのことだったのでしょう。

実は七面鳥を「トルコ鶏」と称するのは英語だけで、フランス語では「poulet d'inde インド鶏」と呼んでいます。「インド」とは西インド、すなわちアメリカ大陸のことですのでこちらは妥当なネーミングと言えます。

今日のフランス語では「poulet d'inde」が約まって「dindon♂/dinde♀」と呼ばれています。英語であれ、フランス語であれ、七面鳥を意味する単語は語源を忘れられるくらいに定着したということでしょう。

ところで冒頭で別のホロホロ鳥との混同話と混同していると述べましたが、「別の混同話」の方の話もしておきます。

ホロホロ鳥ギリシャ神話に登場する鳥です。英雄メレアグロスの死を嘆いてその姉妹がホロホロと泣き続けて姿が変わりホロホロ鳥になったと神話は伝えていますが、この話に因んでホロホロ鳥の学名は「Numida meleagris ヌミディアのメレアグロス姉妹」とされています。学者も風雅なネーミングをするものです。

ただ残念ながら、七面鳥を始めてみた学者はこれをホロホロ鳥の仲間と勘違いしたようで、その学名を「Meleagris gallopavo」と名付けてしまいました。七面鳥ホロホロ鳥ともメレアグロスとも関係ないわけですからこれは不適切でした。

七面鳥ホロホロ鳥のネーミングに関わる話はなかなか面白いと思うのですが、最も面白いネーミングをしたのは日本人でしょう。

七面鳥」「ホロホロ鳥

かなりイケてますよね。