日本人があやふやに使っているフランス料理の言葉

日本人があやふやに使っているフランス料理にまつわる言葉が少なからずあります。

ここではそれらについて本来どういう意味なのかを説明します。

ディナー

英語の「dinner ディナー」、フランス語では「dîner ディネ」という言葉があります。意味は「一日の主たる食事」で正しいですが、それは夕食とは限りません。一日の主たる食事を夕食でとるのは、昼間はあくせくと働かなければならない我々労働者の習慣です。昔の金持ちは労働を忌避し、一日の主たる食事、すなわち「dîner ディネ」を昼にとっていました。

昼にディネをとれば、夕食は軽いもので済ませることになり、この夕食はディネではなくフランス語で「souper スぺ」と呼びます。字義的には「スープを食する」の意味で、要するに宴会帰りのお父さんが帰ってきてからお茶漬けのようなものをサラサラ食べたいのと同じ感覚なのでしょう。
英語のsupperは、このフランス語のsouper が訛ったものです。
一方、ディネを夕食で取った場合ですが、その場合の昼食は英語は「lunch ランチ」、フランス語では「déjeuner デジュネ」です。

おそらくそれほど厳密に使い分けられている訳ではないので、「本来は」という事で押さえておいてください。

「晩餐会」と「午餐会」

上流階級らしき人たちが豪華そうな会食をしているのを「晩餐会」とついつい称していると思いますが、「晩」という以上それは夕食の場合だけの言い方となります。昼食のディナーは「午餐会」と言います。
ちなみに「午」とは「午(うま)の刻」すなわちお昼の12時の事です。

ビーフステーキ

時々「フランス料理のコースでメインはステーキだった」という話を聞きますが、それは本当でしょうか?メニューには「ステーキ」ではなく例えば「牛フィレ肉のグリエ」等と書かれていたのではないでしょうか。
厚切り牛肉を焼いた料理を全て「ステーキ」と呼んでしまうのは日本人の悪い癖です。

ステーキ、あるいは「ビーフステーキ」はあくまでもイギリス料理です。
勿論、イギリス料理をフランス料理のコースの中に組み込んではいけないなんてことはなく、コースの組み立てはシェフの自由です。しかしシェフが牛フィレ肉のグリエとして作った料理は、やはりビーフステーキではありません。

同じ厚切り牛肉を焼いた料理で、両者の料理の違いは何でしょう。
境界線は明確ではないのでしょうけど、基本的にはスタイルが違います。「パンケーキ」と「ホットケーキ」の違いに似ているかもしれません。

ビーフステーキは一般にソースも付け合わせも盛り付けもシンプルです。一言で言えば「イギリス料理らしさ」がありますが、フランス料理はそれら全てが「フランス料理らしく」凝っています。

ビフテキ

日本のオジサンたちは「ビーフステーキ」を訛って「ビフテキ」と呼ぶ、なんて笑いの種にされたりしますが、何を失敬な、訛ってなどいません。
ビフテキ」とはフランス語の「bifteck」の事です。オジサンたちはアメリカナイズされる以前の言葉を継承しているだけです。
まあ敢えて言うなら、英語のbeefsteakが訛ってbifteckになっているのですが、訛らせたのはフランスのオジサンたちであって日本のオジサンではありません。

ちなみにイギリス料理のbeefsteakがフランスに入ってbifteckになったのはナポレオン戦争の後の頃で、美食家としても知られるフランス文豪のアレクサンドル・デュマ(父)がその事を書き記しています。

このビフテキはさらにイタリアに上陸して、イタリア語では「ビステッカ bistecca」と訛はさらにきつくなりました。
もっとも、日本のイタリア料理店のビステッカ の方は何故だかお洒落な言葉の位置づけのようで、オジサンは納得いきません。

肉料理=アントレ?

日本のオジサンたちの中に、コース料理の中の肉料理を「アントレ」と呼ぶ人がいます。「アントレ entrée」とは前菜の事ですから、オジサンはなにやら勘違いしていると思われたりしますが、それは違います。
バブル以前の頃まで日本のフランス料理店では、確かに肉料理の事を「アントレ」と称していました。この勘違いをしたのは日本のオジサンではなく、アメリカのオジサンたちです。

現状アメリカでどれだけ改められたかは定かではありませんが、アメリカのフランス料理店では肉料理の事を「アントレ」と称します。

何故そうなったかは半ば想像ですが、アメリカ人が大好きなビーフステーキはフランス料理のコース上はアントレだからではないでしょうか。フランス料理のフルコースのメインディッシュはロティ(ロースト)と決まっており、ビーフステーキでさえ前菜(アントレ)となるのです。しかしそういうフランス料理の事情までは知らないアメリカ人が大好きなビーフステーキが出てくるアントレとは肉料理の総称なのだと理解した、という事ではないでしょうか。

スープ

日本で「スープ」と言えば汁物の総称、日本のみそ汁、吸い物もすべてスープの一種とされています。
フランス料理ではいささか異なり、汁物の総称は「potages ポタージュ」と呼びます。フランス料理店に行ったときにメニューを見ていただければわかると思います。

フランス語の「soupe スープ」は日本語のスープとは微妙に異なり、肉などの具材を煮込んだ料理の事で、むしろポタージュの一種としてスープがあります。

もっともフランス料理店で、相手が日本人であれば殊更フランス語の意味を気にしなくても良いとは思います。

コンソメ

コンソメも意味に混乱がある言葉と言えます。
よく言われるのは、「コンソメとは完成したという意味なので、ブイヨンを料理として完成させたのがコンソメだ」という事ですが、フランス語の「コンソメ consommé」は動詞consommerの過去分詞であり、の本来の意味は「消費された」、「やり尽くされた」という意味で、それを完成した料理と取るのはいささか早合点のような気がします。少なくてもフランス料理のコンソメとしては到底正しい説明とは思えません。

フランス料理のコンソメは特別な手順で作るブイヨンの事です。
「特別な手順」とは以下の2点を挙げる事が出来ます。

  1. 沸騰させずにゆっくり、灰汁を丹念に除きながら出汁を煮だす。
  2. 上記の出汁にミンチ肉と卵白を加え、灰汁を吸着させて澄ます。

手順(1)のみのものを「コンソメ・サンプル Consommé simple」と呼び、手順(1)(2)を行ったものを「コンソメ・ドゥーブル Consommé double」、或いは英語で「ダブル・コンソメ」と言います。
コンソメ・ドゥーブルを塩・胡椒等で整え、何某かの浮身を加えれば料理としてのコンソメが完成します。

つまり、料理と仕上げる前からコンソメは「コンソメ」となっています。

ムニエル

みなさんが「ムニエル」と呼んでいる料理はムニエルではありません、というと驚くでしょうか。
ムニエル(à la Meunière)はかつては日本人にとって、「フランス料理と言えば」と聞かれて最初に出てくるフランス料理の代表格でした。
伊丹十三の映画「タンポポ」でもホテルのレストランでフランス料理を食べ慣なれない人たちが、全員で「舌平目のムニエル」を注文してしまう、なんてシーンもありました。
料理人エスコフィエもムニエルを「優れた調理方法 excellent mode de préparation」と評価しています。

ただ、昨今の「ムニエル」と称して出される料理は、微妙にかつてのムニエルと違う料理になっていると思わずにいられません。
原因はおそらく、「ムニエル Meunière」は「粉屋」の意味、と言う知識がネット等で広まったために「粉」以外の要件が忘れられてしまったためでしょう。

フランス料理にはエスコフィエ著「Le Guide Culinaire」というバイブルがあります。
ここから「正しいムニエル」を学んでみましょう。
ちなみに同書ではムニエルの解説において、以下のようなタイトルを付しています。

「Cuisson des poissons au beurre, dite «à la Meunière»」
「バターによる魚の加熱 すなわち『ア・ラ・ムニエール』」

ムニエルの作り方は下記のとおりです。

(A)小麦粉をまぶして、フライパンで熱したバターでポワレする(à la poêle)。
使うバターは、大きな魚の場合は澄ましバター(beurre clarifié)を使い、それ以外では普通のバターを使うとしています。大きな魚を普通のバターでポワレしてはバターが焦げてしまう、という事でしょう。

(B)レモン汁を数滴垂らし、塩、こしょうで調味し、表面にパセリを振りかける。

(C)焦がしバター(beurre cuit à la noisette)をかける。

冒頭で述べた「昨今のムニエル」は(A)までで完成としている事が多いようです。
しかし、エスコフィエはこう言っています。
こうしてできるものは「黄金焼き doré」であり、(B)(C)まで行うのが「ムニエル」である。

冒頭で述べった「昨今のムニエル」は昔のムニエルと較べて、なかなか(A)(B)(C)の3要件が揃わないのです。
どうかこれからは正しいムニエルを作るように心がけましょう。

(つづく)