フランス料理のロシア式サービス

はじめに

高級なフランス料理店で食事をすると、コースを構成する料理が一皿ずつ運ばれてくる事にそこはかとない非日常感を感じてしまうものとと思います。
フランス料理の象徴と言っても過言ではない、贅沢さとエレガントさを醸し出してさえいます。
ところがしかしです。
実はこの一皿ずつ給仕する方式の事を「ロシア式サービス Service à la russe」と言います。
つまり元々はフランスではなくロシアの流儀で、これが導入される以前はちゃんと「フランス式サービス Service à la française」という別の給仕方式が行われていました。。
フランス料理の給仕方式がロシア式になったのはそれほど大昔の事ではなく19世紀末から20世紀初頭にかけての事で、しかもここに至る前段階にロシア式サービスの是非をめぐる料理界の百年の論争がありました。
フランス式サービスとはどのようなものか、誰がそのような議論をしてロシア式サービスに変更されたのか、説明していきたいと思います。

念のためのお断り

説明の前に念のため、言葉の定義について断っておきます。
これから説明しようとして「フランス式サービス」、「ロシア式サービス」とは、百年論争のテーマとなった給仕方式の事です。西洋の作法の多くは「フランス式」、「イギリス式」、「ロシア式」という言葉で分類されている事が多く、人によっては別の領域の話と混同してしまう事が多いのです。しかも関係方面のプロの方ほど、なまじ知識があるだけに「フランス式」、「イギリス式」という単語に反応してしまって、それが別領域の事とは気が付いていない事が多いのです。
それと、ネットで「フランス式サービス」という言葉で検索すると、ここでの説明とは違う解説がされているかもしれません。それはおそらく、「フランス式サービス」を一般的な語彙と捉えていて、つまりフランスではこういう給仕がされています、という解説がされていたりします。それはそれで誤りではありませんが、やはり違った領域の説明です。
ここで説明するのは、百年論争の話、料理が一皿ずつ運ばれてくる方式の話です。

フランス式サービス

それでは、ロシア式サービスが導入される前の「フランス式サービス Service à la française」とはどのような給仕だったか、ここから説明しましょう。
現代のロシア式サービスでは厨房で完成した料理が一皿に一人分に盛りつけられ、一料理ずつ決まった順番で客席に運ばれてきます。説明するまでもないでしょう。
それがかつてのフランス式サービスでは、コース料理全体が3つの「セルヴィス Service」に分けられていて、各セルヴィスの料理が一度に出されます。
料理は厨房から客に直行で出されるのではなく、また1人分ずつ盛りつけられているのでもなく、料理ごとに大皿に盛りつけら、客の前の大きなテーブルに「プレゼンテprésenté」(=展示)されます。
料理を展示するレイアウトは皿の配置が必ず左右対称になるようにします、したがって各セルヴィスの料理の品数は必ず偶数となるようにします。そうでなければ対象にレイアウトできません。
客が展示された料理をひとしきり愛でると、宴会のホスト、すなわち「アンフィトリヨン」の腕の見せ所となります。
アンフィトリヨンは大皿に盛りつけられた料理を一人一人に取り分ける「デクパージュ découpage」を行います。
美味しい料理を沢山食べたい客はアンフィトリヨンの隣に座りたがります。
一つのセルヴィスが終わると、次のセルヴィスが始まるまでの間、「アントルメ entremet」、すなわち甘味を食べながら時を過ごします。
そして次のセルヴィスが出そろうと、客はそれを愛でて、アンフィトリヨンがデクパージュに腕を振るい、

さて、ロシア式サービスとフランス式サービスの違い、それも本質的な違いは理解できたでしょうか。
象徴的な工程はプレゼンテとデクパージュです。
大皿に目いっぱい豪華に盛りつけられた料理をアンフィトリヨンと客の全員で愛でて、さらにアンフィトリヨンがデクパージュする事で全員の交流がおこります。
フランス式サービスは感動や交流を最重要とする、そういう流儀だと言えるのではないでしょうか。
日本でも同じような事をする事があります。
子供の誕生日会で、ケーキをホールのままテーブルに出して、蝋燭の炎を引き消すなどの儀式を経てから、切り分けて一人一人にだしたりするでしょう、
儀式をしたからと言ってケーキが美味しくなるわけないのですから料理的な合理性はありません。しかし、最初から切り分けられたケーキを出しては楽しみにしていた子供がさぞかしがっかりするでしょう。
ロシア式サービスを知ったフランス料理界が、少なくても初期段階では、それに対して冷淡なリアクションだったのも同じような理由だったのでしょう。

ロシア式サービスの紹介と百年論争

フランス人がロシア式サービスを知ったのはナポレオン皇帝の時期です。
ロシアからきたフランス駐在公使のアレクサンドル・ボリソヴィッチ・クラーキン公爵がロシアの給仕方式をフランスの社交界に紹介したのが事の始まりでした。
ロシアではダイニングルームに料理を展示する事なんてしない、そんな事をしては料理が冷めてしまう、なので料理を厨房で一つずつ作り、食事客は出された順に食べていく、というのです。
それにしても、革命の血なまぐささが残るパリで、これからフランスが戦争をしようという相手国の大使が、やけに暢気な話をしているものだと思えてしまいます。が、逆にそういう時こそ暢気な話をするのが外交官の仕事なのかもしれません、それはさておき・・
フランス料理会の最初の反応は、概ね「寒いロシアではそれで仕方ないかもしれないけど、料理の展示を無くする事はディナーの華やかさを失ってしまうので良い方法とは言えない」と、冷ややかな反応だったようです。
特に当時のフランス料理界のスターシェフであったアントナン・カレームはフランス式サービスの優位性を強調し、この大御所の権威により、暫くの間ロシア式サービスは封印される事になります。
しかし、ロシア式サービスは忘れられることは無かったようです。この時から「フランス式サービス」、「ロシア式サービス」という対立図式として料理界の百年論争となります。

料理人デュボアの主張

ユルバン・デュボアはカレームの弟子世代の料理人です。カレームの死後、デュボアは給仕方式の議論を蒸し返します。
デュボワの基本的な主張は、両給仕方式の長所・短所の一般的な認識は誤りであるというものでした。
やり方次第でフランス式サービスは温かいうちに食べる事ができるし、ロシア式サービスでも華やかな演出ができるのだ、とデュボアは主張します。
また、料理人が一方の方式に肩入れるすべきではなく、顧客の求めに応じて料理を作ればよい。ただし、何れの方式であっても、温かい料理は温かく食べる事が重要なのだと言います。
デュボアの論理性がうかがえる主張ですが、実質的にはロシア式サービスの復権に寄与することになります。

料理人エスコフィエ

G.オーギュスト・エスコフィエはデュボアの弟子にあたる料理人で、「料理界の皇帝」とまで呼ばれるほどの世界的なカリスマ性を持っていました。
百年論争はエスコフィエによって終止符を打たれます。
エスコフィエは基本的には師デュボワの主張を支持する立場ですが、デュボワの論理とはいささか違います。
エスコフィエの口癖は、「Faites Sample! シンプルに考えよ!」だったそうです。
なんの事かと言うと、要するに料理は美味しい事が最優先であり、それ以外の事は二の次だ、という事です。
そのために優れているのはロシア式サービスであり、デュボアが提唱したロシア式サービスを華やかに飾る装飾も不要だと訴えました。
エスコフィエは今日に至っても尚、フランス料理の集大成者と目される人物で、エスコフィエが下した結論は、料理人にとっては最終判決みたいなものだったのでしょう。
これにより、ついにロシア式サービスが現在どこのレストランでもやっている「普通」の給仕方式として確定されました。19世紀と20世紀の、世紀の変わり目付近の事でした。

給仕方式の分類の混乱

さて、冒頭で説明した「ロシア式サービス」とか「ロシア式サービス」の混乱についても説明しておきましょう
実のところ混乱しているのはホテル関係者だけなのですが、混乱の原因は給仕方式に纏わる別々の領域の分類を混同してしまっているためです。
この領域の一つ目は、コースを構成する料理をどのような順序で出すかという方法論で、歴史的な百年論争の末に今日のロシア式サービスに着地しています。
領域の二つ目は、一つ目が決着したあとに起こった個々の料理を客にどのように給仕するかの方法論です。おそらくホテル関係者しか知らない話なのですが、悪いことにホテル関係者は一つ目の話とは別の話だという事に気が付いていないようです。

もう一つの給仕方式の分類

最初に述べた、百年論争とは別の給仕方式の分類の話をします。
百年論争は決着しました。料理はメニューに記載された順序で一料理ずつ給仕しますが、実際に個々の料理をどのように客に給仕するか、国ごとに微妙に差異がありました。
この点での給仕方式を整理したのは、料理人ではなくホテルスクールの先生であるルイ・レオスポという人物です。
レオスポ氏は各国の流儀を調べたようで、給仕方式を「フランス式」、「イギリス式」、「ロシア式」と大別して整理しました。
レオスポ氏は料理に限らずホテルマンの様々技術を「ホテル産業論 Traité de l'industrie hôtelière」という本にまとめ出版しましだが、これは日本を含む外国語にも翻訳され、ホテルマンのバイブルになったようです。

「ホテル産業論」に書かれている給仕方式は以下のようなものです。

  • フランス式サービス Service à la française.
     -客が1、2名の場合:料理を直接食事客に出す。
     -客が多数の場合:大皿から食事客が料理を自分でとる。
  • イギリス式サービス Service à l'anglaise.
    -客が2、3名の場合:テーブル上の空きスペースを使って料理を積み重ねた皿に盛り付け、食事客に配る。
    -客が多数の場合:ギャルソンがテーブルの周りを移動しながら、各人のさらにフォークとナイフで盛り付ける。
  • ロシア式サービス Service à la russe.
    大皿の料理を客に提示した後に、給仕卓の上で皿に盛り付け、各人に配っていく。

方式のネーミングが百年論争の分類と被りますが、上記の分類は、あくまで百年論争とは違う領域の話ですので、ご注意ください。